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          |  西国三十三所巡礼とは… |   
          | 718年、徳道上人は病で生死の境をさまよい続けた末に冥土に往き、地獄に墜ちる者の多い世を嘆く閻魔大王から観音巡礼を衆知させるよう命じられ、巡礼による結縁の証とする三三個の宝印を受け取って生き返ったという。 上人はさっそく三十三箇所の観音霊場を探し出す旅に出た。これが西国巡礼ひいては日本における観音巡礼の創始であるという。
 しかし上人はこの話を人々に信じてもらえないまま、80歳で没した。上人の廟所は、現在法起院(奈良県桜井市)で、西国巡礼の番外札所となっている。
 結局、三三個の宝印は各霊場に配されること無く、遺言により摂津国中山寺(現兵庫県宝塚市)の石棺に納められて、270年後の観音巡礼の中興の祖である花山法皇の出現を待つこととなる。
 花山法皇は、冷泉天皇の第一皇子として生まれ、17歳の若さで第65代目の天皇に即位
            するも、986年、在位わずか2年で19歳で退位した。 退位した失意の花山法皇は、熊野に詣で、那智で参篭し修行をしていた。
 そんなある日、花山法皇の前に熊野三所権現が現れ、徳道上人以来観音浄土の三十三所を巡る者が途絶えているので再興するよう告げられたという。
 花山法皇は、河内国石川寺の仏眼上人の案内で、中山寺の宝印を掘り出し、播磨国書写
            山の性空上人を先達として、中山寺の辨光僧正らを伴って、西国巡礼再興の旅に出た。
 忘れられた西国巡礼は復活し、花山法皇は中興の祖と称えられている。
 花山法皇は、途上歌を詠んだが、これがご詠歌の始まりともいわれている。
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          | 第一番/那智山 青岸渡寺 和歌山県東牟婁郡 第二番/紀三井山 護国院(紀三井寺) 和歌山市
 第三番/風猛山 粉河寺 和歌山県紀の川市
 第四番/槇尾山 施福寺 大阪府和泉市
 第五番/紫雲山 葛井寺 大阪府藤井寺市
 第六番/壺阪山 南法華寺(壺阪寺) 奈良県高市郡
 第七番/東光山 龍蓋寺(岡寺) 奈良県高市郡
 第八番/豊山 長谷寺 奈良県桜井市
 第九番/興福寺 南円堂 奈良市
 第十番/明星山 三室戸寺 京都府宇治市
 第十一番/深雪山 上醍醐寺 京都市伏見区
 第十二番/岩間山 正法寺(岩間寺) 滋賀県大津市
 第十三番/石光山 石山寺 滋賀県大津市
 第十四番/長等山 園城寺(三井寺) 滋賀県大津市
 第十五番/新那智山 観音寺(今熊野観音寺) 京都市東山区
 第十六番/音羽山 清水寺 京都市東山区
 第十七番/補陀洛山 六波羅蜜寺 京都市東山区
 第十八番/紫雲山 頂法寺(六角堂) 京都市中京区
 第十九番/霊ゆう山 行願寺(革堂) 京都市中京区
 第二十番/西山 善峯寺 京都市西京区
 第二十一番/菩提山 穴太寺 京都府亀岡市
 第二十二番/補陀洛山 総持寺 大阪府茨木市
 第二十三番/應頂山 勝尾寺 大阪府箕面市
 第二十四番/紫雲山 中山寺 兵庫県宝塚市
 第二十五番/御獄山 清水寺 兵庫県加東市
 第二十六番/法華山 一乗寺 兵庫県加西市
 第二十七番/書寫山 圓教寺 兵庫県姫路市
 第二十八番/成相山 成相寺 京都府宮津市
 第二十九番/青葉山 松尾寺 京都府舞鶴市
 第三十番/巌金山 宝厳寺 滋賀県東浅井郡
 第三十一番/姨綺耶山 長命寺 滋賀県近江八幡市
 第三十二番/繖山 観音正寺 滋賀県蒲生郡
 第三十三番/谷汲山 華厳寺 岐阜県揖斐郡
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