秘仏御開帳を十月二十三日まで延期(次回は三十三年後)

 当山では平成二十年十月一日より御本尊を開帳して参りましたが、当初九月三十日に閉帳予定のところ、二十三日間延期することとなりました。そして、次回の開帳は三十三年後の二〇四〇年(平成五十二年)となります。
 かつて江戸期の開帳は三十三年毎に御均等に行なわれております。
 天明二年(一七八二)
 文化十一年(一八一四)
 弘化三年(一八四六)
 明治十一年(一八七八)
 といった次第で、この順序に従えば、明治四十三年がこれに次ぐ開帳となるはずでしたが、日露戦争が勃発した事情もあり明治四十七年を以って、戦後十年目の戦死者追悼法要をも兼ねて開帳される予定となっていました。しかし、明治は幕を閉じ、懸空住職は大正二年に遷化され、必然的に期日は延びて、五十年目(一九二七)をト(ぼく)して 開帳を催すべく、大正十五年には、写真にみる認可も下り、鋭意この準備に当りましたが、結局、昭和六年、五十四年ぶりの開帳となったのであります。
 この時、秘仏の手につながれた善の綱(晒布)は、延々三粁の参道を経て、大正十一年に開通 した国鉄、松尾寺駅にまで及び、駅に乗降車した人数は四萬二千九十一 人で、その他、バス、徒歩の参拝者を含めると、優に十萬人に及ん だといわれます。時の住職は空我上人で法要には本山の管長猊下を大導師として西国三十三所各山御住職も出仕いたゞき近代の盛儀でありました。
 時の台所方に当っていた寺男のお爺さんは、その後二十年経っても、あの時の寝不足 が崇って未だに睡むい、というのが口癖で周囲の笑いを誘いました。
 爾来七十七年を経て、開山千三百年をトしての、平成二十年十月一日よりの開帳法要となったのであります。 たまたま時を同じくして、西国三十三所も初の総開帳をされるという法縁に恵まれて、他山の開帳参拝を兼ねてのお参りも多く、生涯の勝縁というほかはありません。
 来る十月二十三日には当山恒例の行事である観音講も催し、兼ねて閉帳の儀を執り行なう予定であります。
 昨年十月一日には前回の開帳に稚児として参加された、朝来在、林幸子さんに、参拝者代表の焼香をしていただきましたが、その後、七十七年前の稚児さんが三人おられることが分りましたので、閉帳にはぜひお参りいたゞきたいと念じております。



明治11年開帳時、七日間の延期についても府知事の許可を要した


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