名田庄村二題

 この二十年間に七千粁の徒歩 巡礼を果たした人たちの属する 「アリの会」会員の新年会は、今年一月十一日、舞鶴の地で催されました。
 五番札所藤井寺御山主、三番粉河寺副住さんをはじめ、東京、新宮、姫路等の地域から七十二 名が集りました。なかんずく、 西国三十三所巡りをして作詞作曲したことをNHK大阪放送局より毎週放映された、フォーク ソング・シンガー高石ともや氏も参加されて、合唱を指導、会は一層の盛り上りをみせました。
 ところで同氏は、一時期、福井県大飯町名田庄村の小学校の廃校に住まいしておられたことがあります。若狭の自然に囲まれて、精一杯詩情の充電に勵み、 一方、得意のマラソンの健脚も鍛えられたに違いありません。
 ところが、その翌々日のこと、N HK・TVでは「こんな医師がいたのか、山村診療所の熱血医師」(プロフェッショナル)と題して、名田庄の地域医療に 尽瘁する中村伸一医師のことが放映されました。或る不可避とも思われる誤診に対して、患者の側から「御互いさまです」と云われたことや、死に臨んで、 患者がその夫人に対して、「お前も中村先生のお世話になって死ねよ」と告げた、心からの信頼の言葉に感動して、自からの希望も顧みず、地域医療に尽す 決意をされる条(くだ)りは、誠に胸に迫るものがありました。
 実は名田庄は、毎年数多くの方が松尾寺の五月七、八日の法要(通 称「卯月八日」)にお参 りになることや、山主が講演にお招きをうけたこともあって、 かねてより馴染深い地名であり ます。
 伝統のある深い信仰にもとずく、優しい人情や人柄が、正に 現代の赤ひげ先生の足を、この地域に留めたのではないでしょ うか。御先祖の回向に際して、何度となく誦み上げる「名田庄」の地名に、より一層の深い親しみを覚えたものであります。



高石ともや氏


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