産着(うぶぎ)と経帷子(きょうかたびら)

 或る人の話に、選挙と葬式は、自分孤りでできるものではない、と語っているのを聞いたことがあります。
 なるほど、うがった話だと、納得したものですが、たゞ選挙の泡秣候補はさにあらず、と孤りで反論を試みていました。
 ところで、著名な解剖学者で、東京芸大教授であった、故三木成夫氏は、その講演集の中で『自分孤りで着れない衣類が二つある。産着と経帷子で、共に取りあえず本人が必要とするものがないから、ポケットがない。』
 という、面白い一節がありました。
 ところで、巡礼で用いる笈摺(おいずる)は、各札所で納経印を捺してもらい、死出の旅路に身につけてゆく慣わしになっていて、経帷子の用をなします。
 巡礼では、旅に必要な、みの笠、食料、着替えなど生活用具一式を背に負うと、いきおい衣類の背なを傷めるため、一枚羽織ったのが「おいずり」、後年訛って「おいずる」となり、経帷子にも転用されることになりました。また、その他の白衣、脚絆等の装束一式も、死出の装束そのもので、一方、関所を通る時に必須の「往来手形」には、萬一の時は、所の作法に従って葬ってもらって異議なしと書き込むのが、慣例となっていました。そして、手にする杖は、墓標に用いられるのでありました。
 そうした背景を背負ってのおいずるですが、江戸期、次のように定められております。すなわち、背は三巾に縫い、両親あるものは、真中が白で、両辺が赤、片親の人は、真中が赤で両辺が白、両親共に亡き人は、全部白に縫い上げるのが定めでありました。したがって、浄瑠璃「傾城阿波鳴門」に出てくる幼い巡礼お鶴が、父の十郎兵衛、母のお弓をたずねての旅では、当然ながら、真中白、両辺赤のおいずるを身につけて、舞台に立つことになります。
 しかも、この西国巡礼は、三周することを勸め、一周目は父の廻向、二周目は母の供養、そして三周目は衆生の菩提を祈るためとして、三度の巡礼を勸めております。
 以て、西国巡礼は、両親への孝養、廻向を促す旅であったことは間違いありません。
 この一事を以てしても、現代の親子関係にかんがみる時、大きな相違が生れていることを嘆かざるを得ません。
 ところで、作曲家遠藤実氏が、平成十五年七月、NHK教育TV、「こゝろの時代」で話された内容は、大要次の通りであります。
 氏の疎開先での、父と兄が病身故の生活の困窮ぶりは、言語に尽し得ぬものがありました。村中、どんな家にも電灯はありましたが、氏の住まいは、小屋掛けで、板を敷き、筵(むしろ)を載せ、ランプの暮しであった、といゝます。
 後に、楽団に加わって吹雪の中を歩いていた時、余りの冷たさにたまりかねて、小便をその手にかけてぬくめたのでした。そしてその時気付いたのです。貧しいけれど、自分の身体にはまだこんな暖かいものがあるのだ。負けてはならない、と。これが遠藤少年の決意でありました。間もなく雪が収まり、澄み切った寒空を仰いだ時、星が見事にまたゝいていて、この心のワン、シャッターが 後年の名曲「星影のワルツ」を生むのであります。
 また、学制が変って、高等小学校から新制中学に進もうというとき、それが許されぬ家の状態で、彼に「すまない」といって、涙を隠した母の後姿の肩は、震えていた、と申します。この後、遠藤氏は進学のことは一切口にするまいと決心するのですが、このときの進学への憧れは、「高校三年生」につながるのであります。
 昭和二十四年(十七才)、歌手をめざして上京して後も、生活は決して楽ではありません。わかめの行商をして、その上りを仕送りした時、母から礼の便りがくるとこの上なく嬉しく、かすれた鉛筆の文面をたどりながら、嬉し涙がこぼれ、とうとう屋根裏で泣いているだけでは気がすまなくて、十円で切符を買って、ぐるぐるまわる山手線の中で思うさま泣いた、といゝます。
 流(ながし)の生活は九年に及びます。その間、結婚してからは、二人でラーメンを食べるのが唯一の楽しみで、一方、ラーメン屋は客の使った箸を残してくれていて、その割箸で煮炊きをしました。
 妻君は、お白粉は歯磨粉で、口紅は、赤インキの壷に指を指し入れて代用しました。遠藤氏は、家への仕送りにこゝまで切
りつめて協力してくれる奥さんに涙するのであります。
 こうした話に触れる時、貧しさに耐えぬく母ヘの敬慕の念、それ故に母を偲んで泣く慕情、これらは、貧しさが追い風となって親への敬愛の念を深めていることに深い感動を覚えるのであります。
 反面、遠藤氏は現代の風潮を顧みて、我が親でさえ、年が老いるとうとましくする姿をみて、深く嘆いておられるのは、頗る印象的でありました。

 顧みて、江戸期の紅白のおいずるこそは、巡礼を通じて孝心を培うものであり、その伝統を引き継ぐことは、正に巡礼行の真骨頂であるといわなければなりません。
 更に一案として、経帷子には死者の再生を願って産着を添えるのも、死者への更なる供養となるのではありますまいか。


松尾寺製おいずる

 




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