人間と葦

 「人間は考える葦である」という有名な言葉があります。その存在は葦同様に脆くはかないものではあるが、人間は考えることによって強靱な存在になっている、というのであります。 
 脳をもち、脳を高度に発達させた人間の思考力、表現力、創造力は、他の動物に優越するもので、つまるところAI(人工知能)まで産むに至りました。しかも、このAIが、囲碁、将棋の世界でも、人間を負かせる能力をもつに至ったことは、周知のところであります。また、このAIを用いて勉強した藤井四段の活躍にマスコミは大騒ぎになりました。
 但、ルールの明確な碁、将棋ではAIの判断能力は抜群でありますが、余知するに余りに多い未知数を蔵する地震のことなどは、AIとて容易に太刀討ちできる課題ではありますまい。
 同時に、この発達した人間の頭脳は前世紀に於て、原子力を産み、核爆弾を作るに至りました。今や地球上にある一萬数千の、この爆弾を保有している人間世界の実態は何でありましょうか。
 人間は考える葦ではありますが、同時にドイツの歴史学者ランケの述べた如く、「人間には発展はあるが進歩はない」というのも真実でありましょう。地球の温暖化、プラスチックの廃片の彌漫(びまん)等々、とかく眼をそむけたい現代文明の反対給付が蔟出(ぞくしゅつ)しているではありませんか。
 さて、話題は元に戻ります。先日、弘法大師の教えを広く現代社会に生かすために設けられた「密教21フォーラム」という文化振興団体がありますが、その「第一回空海賞」に選ばれたのが、松岡正剛、編集工学研究所長であります。たまたま拙著も出版している春秋社刊の、松岡氏著「空海の夢」を私も読んでいる最中なので、特に深い関心を覚えたものです。
 ところで、その中の「呼吸の生物学」という一章には、次の如く述べられております。  
 「水辺の一本の葦から瞑想する哲人にいたるまで、あらゆる地球上の生命が光合成と呼吸というふたつの化学的奇蹟によって成立していることは感動的である」と生物学者のルネ・ デュポスはのべた。
 この言葉にもうひとつの感動を加えるなら、それは葦における緑の血クロロフィルと哲人における赤い血ヘモグロビンの分子構造が全く同一だという点だ。たゞ両者は亀の子型の分子構造の中央を、葦ではマグネシウムが、哲人では鉄が占めている点では異なっていた。その相違が葦と哲人における呼吸言語活動の有無を分ける。それはつきつめればATPのつくりかたのちがいということである。
 と述べています。ATPとは耳馴れぬ言葉ですが、アデノシン・トリプロ・リン酸というものでエネルギー発生の源となるもの、と知りました。
 それはともかく、考える機能をもって葦より優位に立つはずの人間も、その生命維持のための呼吸は、葦の光合成による酸素の輩出によって成り立っている、しかも、両者の緑と赤の血の分子構造が全く同じだ、ということも驚きであります。「考える葦」は、実は葦によってその生命を保ち、考える機能も葦によって可能になっていることを知ると、「葦によって考えさせられる人間」という構図も成り立つことに思い至らざるを得ません。
 かつて、「木に倚(よ)って魚を求むる如し」といって、森林に釣り針を持ち込む愚を揶喩したものでありますが、森の産み出すプランクトンが川を下って海に流れ込み、魚を養う重要な栄養素となっていることを知ると、「木に倚って魚を求める」ことも現実味を増し、「葦によって考えさせられる人間」も同様ではありますまいか。 
 ところで、呼吸の話に戻りますが、古来、様々な工夫が試みられて参りました。禅での數息(すそく)観(數を數えながら息を調える)などは代表的なものであります。
 すなわち、太陽、月等の天体の動きのリズムに呼応して、潮の干満から鮭の母川回帰、鳥の渡行に至るまで、そこには宇宙のリズムがあり、人体の呼吸の制御調整は正しくそのリズムとの調和共鳴に他なりません。
 特異な生命形態学で著名な三木成夫教授は、「お釈迦様の悟りは天のリズムと人のリズムの調和ではなかったかと思う。アショカ王はこれを『人天交接』という言葉でもって表現した」と述べています。
 当地でも、毎月一度「靜坐の会」を催して、靜坐・瞑想の集いをもっています。街の一隅でのささやかな集いも、両氏の説を援用して広く考えると、宇宙の生あるものともどもの、呼吸の大合唱とみなすこともできましょう。
 靜坐によって、意識下六十兆ともいわれる細胞が、生き生きとその働きを高めていることを想像するだに、小宇宙の身体の営みに畏敬の念を覚えます。




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