私の守護仏

 かつて、西国三十三霊場の文 化財調査を当時の文化財保護委員石田茂作博士に依頼したこと がありました。
 当寺へ来山された博士は、墨蹟等、極めて手際よくA ・B ・ C に分類され、個々について適切な助言がありましたが、残念ながら当方浅学の身、質問する すべだに知らず、唯々として承るのみでした。ともあれ、一日だけの調査は先生の手に余るもので、本堂で、西方の脇侍の阿弥陀如来の傍らに一段低く置かれた阿弥陀如来坐像を観られた博士は、「これは良いものです。も一度寄せていただいた折に拝見します」と申され辞去されたのですが、再度の機会には恵まれなかったのでした。
 ところでその後、当市内の寺院に火災があり、時の毎日新聞当地支局員、多田学氏は、前任が奈良支局で、文化財についての関心が深く、当市の文化財 調査の不充分であることを憂え て、災厄を機縁に氏の勧めで、 当時の国立奈良文化財研究所、守田公夫美術工芸室長他二名の方を招いて調査が行なわれたのであります。当寺では二日に亘る調査の後、そこそこに立ち去 ろうとされた所で、石田博士の件を伝えたところ、改めて当の如来像が調べられることになり、挙句、胎内後頭部に、「『アン』阿弥陀佛」の墨書名が発見されたのでありました。
 八百年前の快慶作と分った時 の、衝撃にも似た深い感動を今も忘れることができません。昭和三十八年のことでありまし た。爾来、私の念持仏となった のであります。


松尾寺所蔵・重要文化財 木造・阿弥陀如来坐像 快慶作

 

 




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