慶長15年2月21日付で当時武家伝奏の要職にあった勧修寺中納言光豊に宛てられた後陽成帝の消息である。 この宸翰は本来「勧修寺家文書」中の後陽成帝関係の文書類と一具をなしていたものと考えられるが、松尾寺に伝来した経緯は明らかでない。